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和衣布のルーツ

 昨年の暮れ、伊勢丹新宿店に出店の折、トークショーをいたしました。まだまだ和衣布をご存じない方が大半なのでその機会に宣伝ということで、和衣布のルーツと云うテーマでお話をさせて頂きました。ところが、30分では話し足りない事が沢山あり、このブログ「和衣布のささやき」の場を借り少し書き込みます。ここでは、かつて私が特に影響を受けた、8人の女性をご紹介いたします。
 最近、自宅の片隅でほこりをかぶっていた古い雑誌を見付けました。大分前に露店の古本屋で買ったのを忘れてほうっておいたのだと思います。ページをめくってみたらかつてテレビで見ていた有名な女性たちの“きもの”姿の写真が何枚も載っていました。どなたも着こなしの素敵な、女流作家さんや女優さんたちです。



1.藤原あきさん
 私は昭和19年の生まれです。戦後間もない頃はテレビなどなく一般の家庭に普及し出したのは昭和35年位からで日本中が力道山のプロレス中継に夢中になり、街の電気屋さんのテレビの前に人だかりが出来ました。中学生になったばかりの私の家にも白黒テレビがやって来ました。ほとんどテレビを見ることはありませんでしたが、たまにNHKの「私の秘密」という番組を見ることがあり、解答者の中に「藤原あき」さんと云う美しい女性がいつも着物で出演していらっしゃいました。女性タレントの走りのような方です。世間一般の女性が“着物”を日常着としていた時代にファッションリーダー的な存在だったのではないのでしょうか。そういう時代に十代を過ごし、女性で、その時代を牽引して居た方々のオンタイムな姿を目の当たりにしていたことが今日の和衣布のルーツをつくったのではないかと思います。

①藤原あきさん_「ほばーりんぐ・とと」さんのブログより

藤原あきさん 
(出典:「ほばーりんぐ・とと」さんのブログより)



2.沢村貞子さん
 NHKドラマ「おていちゃん」の作者でモデルである沢村貞子さん―昔沢村貞子さんの“きもの”姿をテレビで見たことがあります―半襟を幅広に見せて色衿を使われることが多くこれを真似して私も色衿専門です。白衿だけではつまらないのです。色半衿と“きもの”が上手くコーディネート出来た時は嬉しくなります。ちなみに後述する白洲正子さんの写真も色半襟です。

沢村貞子さん

沢村貞子さん
(出典:主婦の友社「きものの花咲くころ」p.63より)



3.高峰秀子さん
 子役からの女優さんで骨董がお好きだったのでしょう、有楽町に骨董店を開いてらっしゃいました。グレーの無地の紬に前田青邨(せいそん)夫人より贈られた、刀の下げ緒を織り込んだ帯をらくーに締められた姿は平成の時代でも“きもの”をオシャレとして着る女性たちのあこがれの装いではないでしょうか。

③高峰秀子さん_「きものの花咲くころ」p.42

高峰秀子さん
(出典:主婦の友社「きものの花咲くころ」p.42より)



4.上村松園さん
 女流の日本画の巨匠とも云える方ですが、長羽織をゆったりとはおられて絵筆をとられています。和衣布では開店当初よりオリジナルの長羽織を作っています。一越(ひとこし)や三越(みこし)の縮緬一反分を好きな色に染めて無地の長羽織です。これは“鏑木清方(かぶらぎきよかた)”の美人画からヒントをもらいました。時代着物の散歩着の上に黒の羽織をはおっている美人画からです。

④上村松園さん_「きものの花咲くころ」p.59

上村松園さん
(出典:主婦の友社「きものの花咲くころ」p.59より)



5.北林谷栄(きたばやしたにえ)さん
 演技のためなら歯を抜いてまで老婆の役に徹した女優さんで、この“きもの”姿も素敵です。その当時は柄の大きな羽織を地味な着物の上にはおるのが流行ったのでしょうか。白洲正子さんも同様な柄の大きな羽織をお召しになっています。これも“きもの”の着こなしのひとつのヒントになりますね。北林谷栄さんの写真の姿は「私は女優と云う名のキャリアウーマン」という自信に満ちた風情です。

⑤北林谷栄さん_「きものの花咲くころ」p.62

北林谷栄さん
(出典:主婦の友社「きものの花咲くころ」p.62より)



6.白洲正子さん
 銀座に「こうげい」という“きもの”のお店を開いていらっしゃいました。私は「意匠美(世界文化社・2000年)」という本を拝見して今のオシャレ“きもの”の方向はこれなんだと目から鱗です。白洲正子さんの審美眼で選ばれ、又育てられた作家の染めや織の“きもの”を身にまといオシャレを楽しむというスタイリッシュな世界は、“こうげい”というきもの屋さんから発信されたのではないでしょうか。私は“こうげい”と銘の入った呉須で染めつけられた帯留を持っています。私の宝物です。

⑥白洲正子さん_世界文化社「衣匠美」p.136

⑥白洲正子さん_世界文化社「衣匠美」p.137

白洲正子さん
(出典:世界文化社「衣匠美」より 上:p.136、下:p.137)



7.浦沢月子さん
 紬屋吉平の5代目を継がれた方です。信州や八丈や結城などの産地に行かれて、その産地の育成をされた方です。銀座のオシャレな風を産地に吹き込まれたのでしょう。中学生の時に母に連れられて歌舞伎座に行った帰り道、銀座の紬屋吉平の前を通り掛かったのですが、母が“あっ浦沢月子さんがいらっしゃる、私もここの紬が着てみたいのよね~”とため息まじりでつぶやいていたのを思い出します。 その時、浦沢月子さんのほっそりとしたお姿を店の奥に垣間見たことがあります。55年以上経った今でもその時のことは覚えています。

⑦浦沢月子さん_「すみれ庵 日々、是キモノ。」より

浦沢月子さん
(出典:ブログ「すみれ庵 日々、是キモノ。」より)



8.篠田桃紅(しのだとうこう)さん
 この方は書家で、女優の岩下志麻さんを奥さんに持つ、篠田正浩監督のお姉さまです。前衛的な勢いのある字を書かれます。きもののオシャレも抜群です。この方の草書で書かれた扇子を骨董品屋さんで見つけ持っています。はじめのうちは、帯の間に挟んでいましたが、擦れてしまい慌てて机の奥にしまいました。時々眺めています。これも私の宝物です。

⑧篠田桃紅さん_「きものの花咲くころ」p.61

篠田桃紅さん
(出典:主婦の友社「きものの花咲くころ」p.61より)




 きものは所詮着るものです。身がその着物と一体になった時こそ結城紬も宮古上布も生きて来るのです。それらを着こなした時こそ、中身も生きて来るのです。逆に云えば中身がきものに負けてしまっては駄目なのです。きものは中身を引き立てるアクセサリーだと思います。そして“きもの”のオシャレも立派な芸術であり文化であると思っています。


内藤勝美




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