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空木について(ひさしぶりのブログ)

 空木との初めての出会いはかれこれ8年前、麻布十番に古着の市場がありますがその市場での出会いがきっかけとなります。 

空木_53_染名古屋帯「菊」_p.46 「染名古屋帯「菊」p.46 1950年頃」

空木_54_染名古屋帯「椿」_p.46 「染名古屋帯「椿」p.46 1955年頃」

空木_55_染名古屋帯「ひょうたん」_p.47 「染名古屋帯「ひょうたん」p.47 1955年頃」

 最初に手に入れたのは”土筆(つくし)”の柄で残念なことに付け帯に加工されていましたのではぎが入ってしまっていましたがシミ抜きやヤケ直しをして名古屋帯に仕立て直しをしました。 土筆の柄は空木の中でも珍しく、未だに土筆NO.2に会っていません。その当時は空木が何なのかも知りませんでしたが、”土筆”がすぐ売れてしまい次の”山帰来(さんきらい)”もすぐ売れて空木を商材として集め出しました。和衣布が空木を度々仕入れるのに気付かれた栃木県宇都宮の同業S女史が「甦る染色の美 高久空木展」という図集を下さり、やっと空木が何なのか判明しました。”S女史に感謝”。そしてどんどん空木にひかれてゆくようになりました。
以下図集の中の言葉を引用させて頂きます。

「壬生町教育委員会 篠原義明氏による前書きより~

(略)
 高久空木の鑞纈染(ろうけちぞめ)に登場する花卉文様(かきつもんよう)は、空木(うつぎ)に由来するように自然の恵みの中に取材されています。自然に寄せる高久空木の創作は自然空間の探求であったと言えるでしょう。
(略)

栃木県美術館監修 『高久空木展』 7項」

より―

空木_58-60_染名古屋帯_p.48-49
「染名古屋帯 p.48-49 左より、「ドクダミ」「椿」「椿」「菊」」


昭和53年70歳の空木は本格的に染帯の制作に着手――もちろんそれ以前から呉服の染を手掛けていらっしゃり、銀座知田和(ちたわ)などに塩瀬の名古屋帯を発表していらっしゃったのですが――以来、空木の染帯は人気を呼び、「帯の空木」の名を不動のものとしました(私も年を取って70歳。空木を見習って行きたいと思いますが実は70歳という年にガックリ来ています)。

空木の没後21年、リサイクルでしか空木の作を目にすることはありませんが、大変に貴重な芸術品である空木の帯、当店でお買い上げ下さったお客様一人ひとりに「締めて下さい。但し大切にして下さい」と僭越ながらそう申し上げたく思っております。

空木_61_染名古屋帯「椿」_p.50 「染名古屋帯「椿」p.50 1975年頃」

空木_62_染名古屋帯「茄子」_p.50 「染名古屋帯「茄子」p.50 1950年頃」

空木_63_染名古屋帯「バラ」_p.51 「名古屋帯「バラ」_p.51 1965年頃」

空木_64_染名古屋帯「椿」_p.51 「染名古屋帯「椿」p.51 1975年頃」


和衣布

上記写真の出典は全て 栃木県美術館監修 『高久空木展』より


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